今回はTIECでの主催イベントについて語っていこうと思う。

①TIECについて
②TIECでの日常について
③TIECの定期的なイベントについて
④TIECでの主催イベントについて←今回はここ!
⑤Alumniの活動について

当時(2010年頃)のTIECでは、自分が主催したいイベントを企画して、企画が通れば実行することができた。
具体的には、JASSO側から自主公募制イベントの募集があり、そちらに応募した形である。

私は日中学生交流プロジェクトを開催した。
その名の通り日本人学生と中国人学生の交流プロジェクトである。
端的に紹介すると、複数のテーマに分かれてディスカッションをし、その内容をまとめていくというイベントであった。
当日は政治、経済、日常生活、文化に分かれて、それぞれ自由に話すという、今思えば交流に近いイベントであった。

このイベントは、私が最終的には代表になっていたが、私が熱意を持ってやろう!と実行したというよりは、必要に迫られて開催したのであった。きっかけを振り返ると、当時、血気盛んな日本人学生と中国人学生がフロアパーティー(①の記事を参照)の際に政治的な話題で喧嘩することがあったこと、また、先輩のOさんがTIECで実施されていたイベント全体へ意義申立をすることがあったので、これらに場を与える必要があるのではないか、と考えて開催したのであった(と記憶している)。TIECでは、当時イベントを頻繁に開催できたが、国際交流上意義が深いものが少なかったので、大学院生じゃろ、もっと深い国際交流もできるよね?と考え、そうしたイベントを開催したい、というのが、私の思いであった。今思えば、これが私の熱意だったのかもしれない。

最初は日本人RA中心に数人で集まり今後の展開を相談していたのだが、なかなかどう進めたらよいか方針が決まらなかった。何度も集まり、様々な方のアドバイスをいただき、紆余曲折を経ながら進めていった。当時の記録を見返すと、最低でも10回以上は集まり、相談を進めていた。あまり政治に偏りすぎないように分科会形式にすることになったのも、相談の中で決まったことだったと記憶している。

また、主催するにもスタッフが足りないので、このプロジェクトのためのウェルカムパーティーイベントを開催し、日中の料理で新規の留学生を歓迎しつつ、スタッフを募集するというようなこともした。今思うと、TIECの施設の充実(学校の調理室並みの大きな調理室がある)と、イベント開催のハードルが低いこと、物理的に同じ環境に住んでいるので、集まりやすいという点はTIEC独特で恵まれた環境であったと思う。

そうこうして試行錯誤をしているときに、困っていることを聞きつけた、中国人留学生会のトップに近い方が企画に入ってくれ、それが1つのターニングポイントになった。OBOGの方々も力を貸してくれ、日中の強力なメンバーも力になってくれ(今振り返ると超豪華なメンバーだった。皆それぞれの世界で活躍している。)当日を迎え、無事にイベントを開催し、開催した内容を記念冊子にまとめて、国会図書館に納本することもできた。イベント時のディスカッション内容の詳細まで書いてしまうと、長くなるので割愛するが、私が参加した経済班では、中国の女性の社会進出が盛んであることがトピックとなり、日本の女性の社会進出の上でも参考になる点があるのではないか、という点が興味深かった。当時の議論の内容に興味のある方は、国会図書館に行くか、私まで直接ご連絡をいただければ、内容を共有させていただく。

このイベントについて私個人としては毎年開催するような定期的なイベントに持っていきたかったが、中国だけに限定するのはどうか、という意見もあり、この回のみの開催となったのであった。日本国内では、色々な国の方と直接ディスカッションしたり、情報交換したりといった機会は限られるので、非常に貴重な機会であったと思う。

さて、次回は私の連載の最終回、TIECのAlumniの活動について、語っていこうと思う。お楽しみに!

M.I.

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カテゴリー: JP

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